南米パラグアイの民族楽器アルパを弾き、語る Kayo。マルチに活躍する彼女の思いが覗けるページ。


by Kayo-arpa
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FM 愛媛 公開録音!!!

すごーい!!!

出会いって素晴らしいっていつも思う。

一つの出会いからどんどん枝が分かれていって、
ズンズン広がっていくこの様。
感動そのものです。

今年8月、広島ツアーで遊さんが紹介してくれたFM愛媛の和田さん。
彼と一緒に過ごした時間はほんのわずか。
打ち上げ会場で1時間ほど。

私は「南米のパラグアイという国の民族楽器アルパを弾いてる」
という簡単な自己紹介と、名刺を渡しただけ。
その接触しかなかった。

彼は私の演奏を生で聴いていない。

でも、覚えてくれていて!!!(これまた嬉しい話!)
10月27日のFM愛媛 http://www.islands.ne.jp/joeufm/information/
に来てくれないかとお誘いを受けた。

しかも!
FM! 電波に乗っちゃうよ!?
公開録音!40分! デデーン!!!!

鼻血が出そうなくらい嬉しかった!!!

という訳で♪
10月27日、今回初めて愛媛に参ります。
楽しみー♪

がんばんなくっちゃね!!やっほーだぜ!!!

遊さん、和田さん、ありがとう!!!
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by Kayo-arpa | 2007-10-09 22:11 | Arpa

現在

アルパ、フルート、ダンス、パーカッション、そしてお喋り!
色々担当する Kayo は様々な場所で活躍している。

ライブハウス
レストランでのBGM、
ホテルのロビーコンサート、
ウエディングの生演奏
幼稚園、小学校、中学校、高校でのライブトークショー
成人式のアトラクション
平和コンサート(広島、沖縄)
企業イベントのアトラクション
お祭り、ショッピングモールなどでのイベント

その他、必要とされる場所には喜んで行っている♪

2004年にアルパの名曲を収めた1stアルバム
「Jasy Moroti」(ジャスモロティ)白い月という意 
をリリース。

2010年には初のオリジナル曲を収録した2ndアルバム「EQUAL」をリリース。


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by Kayo-arpa | 2007-10-09 22:09 | Profile

プロフィール 前編

Kayo

幼少時代を南米パラグアイで過ごす。
3歳から6歳までの3年間、という短い期間ではあったが、
その間に人間としての一番ベースとなる「五感」を現地で。
すなわち、外見は純日本人であるのに、中身が日本人ともパラグアイ人とも言えない
ミックスされた状態。

今思えば、、、、
帰国後、幼少ながら逆カルチャーショックにストレスを抱える日々を送っていた。
パラグアイで通用していた文化や習慣は日本で通じなかった。
そのことで怒られたこともしばしば。。。。
「日本で生きるにはこれもあれもしてはいけないのだ」と
自分の中で言い聞かせていた。
でも、考え込むようなことはなく学校は楽しかった。

中学時代に吹奏楽部へ入部し、フルートを担当。
3年間ほぼ365日コンクールに向けてフルートを吹きまくった。
このころも「あんたは変てこりんな子やね」と
言われ続けていたが、本人は特別気にする事もなくのんきに過ごす。

しかし、受験を目前に自分の進路を考える。
普通の高校には通う気は一切なく、
元々 目立つようなことが好きだったので、
他の人が行かないような学校を選んだ。
大阪YMCAインターナショナルハイスクールに入学。

校則もなく、部活も制服もない。単位制のまったく個人責任の学校であった。
規則だらけの学校に肌が合わない、というような子が集まった学校。
みんなすごく個性的だった。驚いた!
中学時代は私はとびきり個性的だと思っていたのに、
群を抜いてみんな遥かに「自分」という主張が強かった。
赤やピンクや緑、オレンジ、金、と様々な髪の毛をしていたり、
服装はロックなスタイルや、フリフリレース一色の人、セクシー系な人やら、
清楚な感じもありーの、アメリカンなスタイルもありーの、、、、
皆、それぞれ自分を知っていた。
でも外見とは裏腹に、勉強は皆ずば抜けてできた。かっちょいぃ!!
すごく刺激的で「うかうかしてらんねぇや!!!」と思ったことを覚えている。
そしてなにより、自由な校風が私をより一層伸びやかにさせた。

「自分に今なにが必要なのか?」 ということを考える習慣がついた。
お洒落や街での遊びに夢中になった。何もかもが新しくて、全部興味津々!!
「お茶をする」という新しい遊びも覚えた!ははは!
バイトもいろいろした!!たくさん海外へも行った!
PHSを友達が持ち始めた頃であった。
私自身は高2?くらいから携帯を持っていたかなぁ。

高校は95パーセント大学進学だった。
私もその波に乗りたくて、受ける覚悟を決める。
「キャンパス」や「女子大生」 この言葉がそうさせた。
なんとも光輝いた言葉だった。
そして、「京都の大学」!!!
これまた偉く素敵に私の心に響き、いとも簡単に大学は決定された。
京都の大学で、共学、パラグアイへ行っていたのでスペイン語。以上。

「京都外国語大学」一校のみ受験。決めたらまっしぐら。
いかに勉強せずにこの大学を物にできるか?を散々考えたあげく、
自己推薦(論文、面接のみ)で10月には合格を決め、最後の高校ライフを謳歌。

晴れて憧れの京都のキャンパスで、女子大生になることができた私!!
輝いた未来しかないと信じていた!
京都で中国人留学生と計4人で楽しく共同生活を送っていた。

しかし!!ある日自分の異変に気付く。
学校へ行けない。どうしても行けない。
気付けばカーテンを閉め切り、外部との連絡を絶ち、学校へも行けず、、、、
「ヒッキー」になっていた!?(ひきこもり)

そこから暗い暗いどんよりした私の「鬱生活」がスタートする。
夜は眠れず、明け方になってようやく眠る毎日。
外にもほとんど出ず、毎日「自分とは何か?」をひたすか考えていた。

「何のために大学へ行っているのか?」
「何のために生きているのか?」
「何のために生まれて来たのか?」
「私に未来はあるのか?」

そんなことを考えていたらしんどくなった。
未来を、明日という日を考えるだけで息がつまりそうになった。
生きる ということが「永遠」に感じられた。恐怖である。
生きていることが無駄に感じてならなかった。

毎日このことを自問自答していた。
そう、話す相手は自分しかいなかった。
自分の考えの中で同じ意見がグルグル回っているだけ。

ある日結論が出た。
「生きていることがしんどい。未来を考えたら吐き気がするほど暗かった。
生まれて来た意味を見いだせない」

「死んでしまおう」

そう結論づいた時、ガチガチに頭を縛っていたものがスルリとほどけた気がした。
楽で、嬉しかった。
「死ねる!」と思った。死ぬっていうことが嬉しかった。
決意した。

「私は死ぬ」
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by Kayo-arpa | 2007-10-09 22:00 | Profile